三章 注釈とまとめ

注釈的事項

 さて、これまで比較的曖昧に済ませてきたことについて言及する。「ファンタジィ」という語の適用範囲の広さに関わるものである。

 本論において「ファンタジィ」「幻想」「異世界」「非現実」という言葉を、文脈により適宜使い分け、ことによると混乱した使用があったかもしれない。これには筆者自身の用語の使い方と、文献における語の使い方の違いなどが主に関係している。

 本来「ファンタジィ」と「幻想」は訳語の関係にあって、同じものを指し示すのが一般的だが、同じ「ファンタジィ」でも、トドロフの項で言及したように、まったく異なる二つのレベルがある。すなわち「幻想」と「異世界」である。伝統的な「ファンタジィ」には、異世界のニュアンスは弱く、故にトドロフも異世界物語についてはほとんど視野に入れなかったのではと予想されるが、現代における「ファンタジィ」には、トールキンを主な源流とする異世界ファンタジィが、大衆娯楽の領域で特に顕著に見られるのである。

 『ファンタジー文学入門』においてアトベリーは、ポストモダニズムの為の幻想文学理論で、ファンタジーの価値を高める議論を展開したが、一方で、大衆娯楽の、いわゆる『指輪物語』のエピゴーネンと言われる作品群については全くといっていいほど触れていない。彼らの作品が『指輪物語』と比べて著しく劣っており、粗製濫造といわれるのは、安易な異世界構築、人物設定などによるものではある。しかし、たとえ消費物であって芸術ではないとしても、それらは明らかにファンタジィの一ジャンルであり、極めて普及した世界観である。ことにRPGと呼ばれるコンピューターゲームの領域では、トールキンタイプの作品構築は、まぎれもない主流である。

 つまり「ファンタジィ」の下位ジャンルとして「幻想物語」と「異世界物語」ははっきりと区別され、それぞれに対するアプローチ方法は全く異なるべきなのである。

 また、「ファンタジィ」「幻想」と「非現実」の関係も微妙である。「非現実」という語は、単に現実でないという意味で、価値判断のない、いわば無機的な用語だが、「幻想」という語には、価値判断が含まれ、往々にして芸術に近づく。「幻想」は「非現実」に含まれるが、故に、両者は常に取替え可能な等価の用語ではないのである。

 「ファンタジィ」と「非現実」を並べた場合、先に述べたように「ファンタジィ」に含まれる「幻想」と「異世界」のジャンルが曖昧になり、両方について同じように言及したものなのか、どちらか片方により比重がかかっているのかわかりにくいという欠点がある。そして「非現実」はやはり「ファンタジィ」を含み、それによって、「非現実」と記したときに、ファンタジィ一般、幻想物語、異世界物語のどの領域にどれだけ比重がかかっているかわかりにくくなってしまう。

 これらの曖昧さは「ファンタジィ」と「幻想」をわざわざ使い分けることにも原因があるが、「異世界物語」と対になる語で、「ファンタジィ」の下位ジャンルをあらわすような語として、他に適当なものがないというのもある。

 なおアトベリーは現代的な、ポストモダンの作品においても「ファンタジィ」という語をあてはめており、的外れとはいえないにしろ、「現実/非現実」の境界線に対する、ある種断固たる意識からこそファンタジィが生まれるとする立場からは、容易には受け入れがたいものであるのは、いくどか述べたとおりである。